東海道かわさき宿交流館のblog

東海道ウォーク第11回は、平成28年3月18日(金)に実施。9時に参加者23名とガイド3名が小田原駅小田急改札口前に集合。

駅西口ロータリー前の北条早雲像を見てから、小田原城へ向かう。
牛の角に松明を灯した早雲側が小田原城へ迫り、大軍の夜襲と思わせ大森氏から城を奪取した逸話をモチーフにしたブロンズ像。


前月に来たときは、工事用の囲いで覆われていた天守閣を見ながらストレッチ。



北条火牛像小田原城












報徳二宮神社:
 小田原に生まれ、小田原城主大久保忠真に登用され、農村復興等に数々の業績を残した二宮尊徳を祀る神社で、明治27年に建てられた。


二宮尊徳神社



清閑亭は、黒田長成侯爵の別荘だった邸園(邸宅と庭園)です。
11時開館につき、門前で説明のみ


国道1号に出て、東海道本線と箱根登山鉄道の高架下をくぐり大久寺に向かう。
大久寺は、徳川家康の重臣であった小田原城主大久保忠世を開基とする、大久保家の菩提寺。
大久保一族の墓、供養塔が立ち並ぶ。


居神神社(いがみ):
祭神のひとつを三浦荒次郎義意   ( みうらあらじろうよしおき )とするいわれは次のとおり。
北条軍が三浦一族を倒した際に、三浦荒次郎義意が奮戦し最後に自害したが、その首が松に引っ掛かり数年間、眼を開いたまま落ちなかった。
路往く人々はこれを見て気絶する者も出た。
そこで、ある僧が経を詠んで手向けたところ、首は松の枝から落ちた。
その松の下に祠を建て霊を祀り、この地の守護神としたのがこの社である。
社殿の裏には、14世紀初頭の板碑が二基ある。


大久寺居神神社











 

居神神社の隣にある光円寺の角には、江戸時代の桝方の道路が今も残ることを記す板橋見附跡の案内板。




板橋舛方




東海道新幹線の高架下をくぐり旧道へ入る
格子窓やバルコニー付きの古い洋風建物を見ながら進み右折し、古稀庵に向かう。


古稀庵:古稀庵は、明治の元勲・山縣有朋の別荘で、現在、損保会社研修所の敷地内となっており、庭園は日曜日のみ見学できるが、本日は門前にて説明のみ。

竹林の間の小道を通って、松永記念館へ向かう。


松永記念館は、「電力王」と呼ばれた実業家であり、数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)の邸宅址。
数寄屋建築の茶室や古美術品を展示する施設であるが改修工事中のため、門前にて説明のみ



古希庵香林寺














1487年創建の曹洞宗の寺院、香林寺が松永記念館の隣にあるので散策する。

掃き清められた参道に多数の石仏が立ち並び、本堂の鬼瓦を保存するため建立したと書かれた異様に屋根の大きな門が庭にある。



板橋地蔵尊:身丈一丈(約330センチ)の大坐像は拝観できないが、巨大な大黒天の木造が右側に一体立っている。


板橋地蔵
板橋大黒天














国道1号を横切り、早川に設けられた小田原用水取入れ口に向かう。
箱根登山鉄道の高架下に見える水路の流れは清らかでした。



用水取入れ口


小田原厚木道路をくぐったあたりにある日蓮上人霊址の案内板付近から旧道に入る



箱根登山鉄道の風祭駅を過ぎると鈴廣かまぼこ博物館。
こちらでトイレ休憩と土産購入。


再度、旧道へ戻るとまもなく、風祭一里塚址と道祖神の案内板。



風祭一里塚







樹齢340年のしだれ桜で有名な紹太寺:
紹太寺は、小田原藩主だった稲葉正勝とその母、春日局が眠る寺であり、
かつては七堂伽藍が配置され、黄檗宗では関東一の寺院であったが幕末に火災で焼失。
現在、本堂として残る茅葺の堂。


紹太寺
紹太寺建物













入生田駅横の歩道橋を経て、神奈川県立「生命の星地球博物館」に向かう。

3階のレストラン前のテラスにて、弁当を食する。


地球博物館




昼食後、旧道へ戻る。
駒ノ爪橋跡【源頼朝が富士の巻き狩りの帰り、馬が暴れて石橋の上に蹄の跡が残ったとされる橋跡の碑】
日本初の有料道路の碑【明治初期に旧東海道を人力車の通れるように改修し有料道路としたことを記す碑 】
二つの碑を過ぎると間もなく国道1号に合流。

ここから歩道がないので、箱根登山鉄道の擁壁下の通路へ上がる。


頼朝馬爪痕鉄道擁壁歩道











三枚橋から旧道へ入り、早雲寺に向かう。登り勾配がだいぶきつくなる。

早雲寺:
本堂の前を通って墓地に入り、奥へ進むと北条五代の墓がある。
さらに進むと、室町時代の連歌師宗祇法師之墓がある。



早雲寺北条墓




これらの見学を最後にして寺の駐車場横に戻り、次回の最終回ウォークは山登りになるので注意事項を伝達しストレッチを行い帰路につく。


温泉旅館の立ち並ぶ坂道を下り早川の湯本橋を経て、東海道へ出る。
道の両側の土産物屋を見ながら、箱根湯本駅に向かう。

東海道ウォーク第10回は、平成28年2月19日(金)に実施。
9時に参加者24名とガイド3名がJR国府津駅前に集合
小田原市役所の国府津駅前窓口コーナーの空地を利用させていただき、出発前のストレッチをしてから出発。


初めに、駅からまもなく、親鸞聖人の庵があった場所に立ち寄り、続いて、国府津駅前交差点から200m程先にある、眞楽寺に向かう。
この寺の名は、親鸞上人の命名による。寺の奥には小田原市指定天然記念物のボダイジュの古木がある。


次に、東海道を離れJR東海道線と御殿場線の下をトンネルでくぐり300m程寄り道し、菅原神社へ向かう。


菅原神社:994年創建とされる菅原道真を祀る神社で国府津の天神さんと親しまれる。
境内には、「曽我兄弟の隠れ石」(曽我兄弟が父の仇工藤祐経の行列を、この大岩に隠れて待ち受けたが、警護が厳しく果たせなかった。)
「なで牛」の石像(病気治癒に効果があるとされる)
童謡「通りゃんせ」の歌詞の碑(歌われた天神さんはこの神社であるとされる。「ここはどこの細道じゃ  天神さまの 細道じゃ」


菅原神社隠れ石














東海道に戻り、森戸川を渡り、100m程進んだ「小八幡」信号の付近にある鮮魚店「魚利商店」さんのご厚意で店の奥庭にある 明治天皇が立ち寄られたことを記す「明治天皇御野立址」の碑を見せていただいた。

この辺り、太い松の木が点々と残っており街道風情を満喫

横断歩道橋の上から富士山もきれいに見えて感激。


松富士山















大見寺にて、本陣川辺家の墓所、酒匂の旧家である小嶋家の宝篋印塔を見る。
寺の隣にある「社会福祉法人ゆりかご園(児童養護施設)」と表札のかかった重厚な構えの長屋門は、川辺家の門。


川辺家門











次に酒匂神社に向かう。

酒匂神社:境内の由来記によれば、650年頃に八幡社が祀られたことに由来するとのこと。
境内にある小さな祠には、鉈で彫ったような荒々しい木造が数体並んでいる。説明はなく由緒は不明。


酒匂神社酒匂神社なた彫像














酒匂神社近くにある小田原市の「生きがいふれあいセンター」にて昼食


午後の出発後、まもなく、酒匂橋にて酒匂川を渡る。
江戸時代、酒匂川は、渇水期である冬場は土橋が架けられていたが、春から秋は徒歩渡しであった。

また、江戸時代に田中休愚がこの川の治水工事を行っている。
川崎宿本陣名主と問屋役を務めていた田中休愚者は、将軍徳川吉宗に抜擢され、川除(かわよけ)普請御用となり、
荒川、多摩川、二ヶ領用水等の改修工事に続いて、富士山の宝永大噴火の影響で洪水を引き起こしていた酒匂川治水工事を行った。

川渡しの場所は、現代の橋より100m程上流であった。
橋を渡り、自動車販売店の裏側に回り込み、「小田原藩主大久保忠直:二宮金次郎を表彰の地」の石碑に向かう。
1818年、藩主が幕府の老中に任じられた際に、二宮金次郎をはじめ、領内の働き者、親孝行者を13名を酒匂川の河原で表彰した。



酒匂橋金次郎表彰














小田原総合ビジネス高校を過ぎて、左折し国道から離れ住宅地内を新田義貞の首塚に向かう。
新田義貞の首塚:
新田義貞は、現在の越前国(福井県)で討死し、足利尊氏によって首をさらされていた。
義貞の家臣が首を奪い、義貞の本国である上野国(群馬県)に葬るため東海道を下ったが、この地で病に倒れ、首を埋葬した後、自身も没した。


山王川に架かる山王橋を渡り250m程進んだところにある歩道橋の階段先に、江戸口見付跡(山王口)があり、ここからが小田原宿内となる。
また、ここは江戸から20番目の一里塚があったところ。


江戸口見附新田義貞首塚












江戸見附跡から国道を離れ、100m程住宅地を歩いて、北条稲荷に向かう。
北條稲荷は、北条氏が小田原城内に建てたもので、約400年前ここに移された。
境内には「蛙石」という形状が蛙に似ている石が埋め込まれており、小田原に大異変がある時には、蛙が鳴き声を発するとのこと。
稲荷の狐の像も、ユニークな形状である。

北条稲荷


























新宿交差点から国道1号を離れ、老舗の蒲鉾店が立ち並ぶ通りを進んで800m程先にある小田原宿なりわい交流館に向かう。


清水金左衛門本陣のあった場所には、明治天皇小田原行在所(あんざいしょ)の碑が建っている。

宿内に4軒あった本陣のうちの筆頭が、清水金左衛門本陣で、明治天皇は、ここに5回宿泊された。

この碑に隣接する古清水旅館(現在はマンション)の前には、昭和20年8月15日深夜にアメリカ軍の空襲を受けたことを伝える掲示板がある。


小田原宿なりわい交流館:昭和七年に建設された旧網問屋を再整備し、市民や観光客の「憩いの場」として利用されている。
お茶をいただき、一休み。
ここから、再び、国道1号に合流。


明治天皇
なりわい交流館















お城のような建物で有名な、「ういろう」に立ち寄りお土産を買い、小田原城に向かう。
外郎(ういろう)家は、北條早雲に招かれ上方から小田原へやってきた。
豊臣秀吉が北條を滅ぼした際には、北條家臣を小田原城下に残さない方針の例外として、外郎家は城下に留まった
江戸時代には、歌舞伎俳優市川団十郎が、薬のういろうの効き目のおかげで、痰と咳の持病が治ったことに感激して、歌舞伎舞台で外郎売り口上を述べたので、一層、名前が広まった。


ういろう



















御感(ぎょかん)の藤:樹齢200年とされる藤。明治期にこの場所に移された。大正天皇が皇太子のときに、この藤を感嘆されたことに因む名称とのこと。


銅門(あかがねもん):天守閣へ通じる登城ルートにあり、平成9年に復元された。名称の由来は、扉飾り金具が銅であるため

御感藤銅門














1590年の豊臣秀吉による北条攻め包囲網について説明

常盤木門:本丸正面に位置し、最も大きく堅固に作られていた城門。昭和46年に再建したもの。




合戦攻防図常盤門













天守閣は、昭和35年に復元された小田原市のシンボルである。現在、耐震工事中であり、工事用の足場に囲まれており姿は見えない。

天守閣の前にて、クールダウン体操を行い、解散地点の小田原駅に向かう。




天守閣




こんにちは。
アッという間に、2月になってしまいましたネ。

昭和の川崎写真展から、頑張って展示替えしまして・・・・・・・・・・・・。




2月9日(火)から、切り絵展が始まりました。


切り絵作家の藤田正俊さんの作品です。

川崎市の切り絵の中から、川崎区を中心に約40点が飾ってあります。

これらは2000年以降に作られました。


ー川崎の名所百景ーと名付けたのは、歌川広重の『名所江戸百景』から来ています。
藤田さん曰く「川崎にはたくさんの魅力と名所たくさんがある」。
また、「そんな魅力を切り絵で表現し、たくさんの人たちに見て頂きたい」とのことです。


見たものをを写す「写真」とは違い、創作の世界でもある「切り絵」。

実際に藤田さんの作品を見てみると、「あれ?実際とは何かが違う・・・??」と思うことがあるかもしれません。
が、それは、「より魅力的に見えるように表現している」とのことです。


これは浮世絵の描き方の表現と同じです。
広重の風景画も、そういった手法を取っています。(すべてではないですヨ)
 



たとえば、3階の入り口に飾ったこれ。
「多摩川六郷橋」
何かが違うようです。わかりますか?
kawasaki-02
















 







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そう、右上にある大きな渡し船。
この船の向きが逆なんですネ。


気が付きましたか? ちょっと難しいかな。








さて、 2月19日(金)1時から、藤田さんによる「折り紙を使った切り絵講座」が開かれます。
先着20名募集中です。

持ち物は特にありません。
こちらで道具は準備します。



 

切り絵展は、3月21日(月)まで開催してます。
ちなみに、翌日22日(火)は休館日となりますので、ご注意を!


 


 
今回は切り絵と、一味違った川崎の魅力を味わっていただけたら嬉しいです。
よろしくお願い致します。 

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