東海道ウォーク第8回は、平成27年12月18日(金)、JR茅ヶ崎駅に9時15分集合。

駅前ペデストリアンデッキにて、ガイドから本日の予定等の説明とストレッチがあり、参加者25名とガイド3名が出発。
雨天が多いこのイベントであるが、久しぶりの青空にめぐまれる。

はじめに、茅ヶ崎市役所に庭に設置された上野の寛永寺にあった石燈籠を見学する。
続いて、由来は不明ながら日露戦争の直後に建造された乃木大将の石造がある円蔵寺に、次に第六天神社に立ち寄る。
第六天神社は、神仏習合時代に第六天魔王を祀る神社であったが、神仏分離により多くが改称等でなくなるなかで、生き残った神社であるとのこと。

茅ヶ崎市役所石灯篭第六天神社










相模川の支流である千の川に架かる鳥井戸橋には「南湖の左富士之碑」がある。

東海道を江戸から下ると、富士山は通常右手に見えるが、ここと富士市の吉原の二か所のみで左手に見えるとのこと。
本日は、寒い冬の晴れた日の朝なので、雪をまとった雄大な姿を拝むことできた。
鳥井戸橋を渡るとすぐ右手に赤い大鳥居が現れる。本日の寄り道ポイントは、この鳥居の800m先にある鶴嶺八幡宮。
八幡宮は、1030年頃、源氏が関東へ進出する第一歩として祀った神社で、茅ヶ崎の総鎮守となっている。
3代将軍徳川家光から朱印を賜った記念に、松が植えられたとされる参道には、太さ40cm程の松が何本か残る。
神社の脇にある大銀杏は、11世紀中頃、源義家が奥州の戦に向かう際に戦勝を祈願し植えたものとのこと。

南湖左富士鶴嶺八幡宮











高架道路の新湘南バイパスの手前には、旧相模川橋脚の史跡がある。
ここは、現在の相模川からは1200m程離れているが、1198年、源頼朝の家臣、稲毛重成が亡妻の供養のために架けた橋の橋脚が、大正12年の関東大震災の液状化現象により、水田から浮き上がったもの。
現に見える柱はレプリカであり、本物は、水中に保存処理されている。
稲毛重成は、川崎市域の一部であった稲毛庄を領していたので、ガイドは歴史を詳しく解説。

相模川に架かる馬入橋を渡り、平塚市へ入る。
橋上からは富士山を仰ぐことができた。本日のコースで、障害物なしに富士山が見える箇所は少ない。

旧相模川橋脚
馬入橋富士山











平塚駅を過ぎて、見附台公園にて昼食。
昼過ぎには寒風が弱まり、厚着の人は厚さを感じるほどの陽気になる。

日蓮が亡くなる20数日前に訪れ、寺の名前を名付けた要法寺の裏手に、平塚の地名の起こりとされる「平塚の塚」がある。
これは、桓武天皇三代孫である高見王(桓武平氏の租とされる)の娘が葬られた塚の跡で、いつしか平らとなり、「ひらつか」と呼ばれた。

花水川を渡ると平塚宿京方見附跡のパネルがあり、背後に高麗山を望みながら大磯町に入り、高来神社(たかく)を訪れる。

平塚の塚平塚宿京方見附










江戸時代まで高麗寺が山中にあったが、明治時代に廃仏毀釈で山内の堂塔は破壊され、残った高麗神社は高来神社と改名された。

高麗神社は、7世紀に朝鮮半島の高句麗からの亡命者がこの付近に住んだことに由来する。

江戸時代に徳川家から寺領を賜り、東照権現を併せ祀ったことから、参勤交代の諸大名はこの前を通るとき下馬して参詣した。

高来神社












化粧坂(けわい坂)に至ると旧東海道が分かれる。

化粧井戸の史跡には、曽我兄弟 兄・十郎祐成との悲哀物語で知られる虎御前が近くに住み、この井戸の水を汲んで化粧をしていたことからこの名が付いたとの説明がある。


化粧井戸虎ケ雨












旧道を抜け国道と合流すると間もなく「大磯駅入口」交差点に至り、右折して解散地点の大磯駅に15時30分到着。

12月も、もう半ばですね。
にしては、例年に比べて暖かいようですが。(しかし…今日は昨日よりも5度は低いという)



交流館3階では、今月8日(火)から、来年1月31日(日)まで、昭和2・30年代を中心とした川崎の写真が飾ってあります。


戦後70年経ち、川崎駅周辺の風景もだいぶ変わってます。

昔は川崎駅の前に丸池があったなんて……。知りませんでした。結構大きいですね。
 
そして、今も昔も、相変わらず人が多いですね。
踏切りがあかずイライラしながら通勤通学を……していたんだろうなと思いました。バスに乗っている人たちも、踏切りが開かないので、そこで降りて歩いて行っていたようです。
 


今年、大きく変わったといえば、さいか屋が2015年5月末で閉店。
50年以上、駅前に構え、市民に親しまれてました。
 
また、川崎市役所が予定では2022年には建て替わってしまいますね。
あの時計塔もなくなってしまう……らしいです。


親しんでいた人たちにとっては、とてもさみしいですが、こうやって時代は変わってゆくのだなと感じます。







さて、今年は12月27日(日)まで交流館は開館しております。
来年は、1月5日(火)からです。



少し早いですが……、みなさま良いお年をお迎えください。



東海道かわさき宿交流館



東海道ウォーク第7回は、平成27年11月20日(金)、参加者24名とガイド3名がJR藤沢駅に集合し、9時15分に出発。
まずは、前回の東海道ウォーク最後のポイント遊行寺橋近くに戻る。
1か月前はなかった江の島道の道標が新設されていた。ここは、東海道から江の島道が分岐した地点である。
藤沢宿には、江戸時代初期に将軍専用の休泊施設である藤沢御殿が設けられていた。
藤沢御殿跡地の一部に、現在、藤沢公民館がある。
神奈川県が、東海道神奈川九宿ウォーキングラリーを実施中であり、5カ所の宿シールを集めると、賞品の当たる抽選に応募できる。
藤沢宿シールを藤沢公民館で配布しているので立ち寄り各自、応募台紙にシールを貼った。
永勝寺には旅龍屋小松屋の墓域に宿場の飯盛り女(遊女)の墓碑群が残されている。
江の島道標永勝寺













街道から少しそれて、源義経の首洗い井戸と、義経を祭る白旗神社に立ち寄る。
奥州平泉で自刃した義経の首は、鎌倉腰越の浜で首実検の後、捨てられたが、潮に乗って境川を遡り、この辺りに漂着。
里人がその首をすくいあげ、洗い清めたのがこの井戸と伝えらる。
小田急線の跨線橋(伊勢山橋)を超えると、京方見附跡標識があり、藤沢宿は終わる。
さらに2km程歩くと、国道1号に合流する四ツ谷交差点。
まもなく、大山道への分岐点となる。ここには、不動明王を載せた道標を祭った祠と石造の大山一の鳥居が残る。
ガイドは、落語「大山詣」のあらすじを述べ、大山参りの後、江の島で精進落としの宴会を開く人たちが通った道であると紹介する。


義経首洗井戸大山道道標













時折り降り出す小雨も上がったようなので、昼食場所として辻堂駅方向に600m程それて明治市民センター隣接の公園に向かう。
茅ヶ崎市内には、断続的ながら松並木が残り、風情を味わいながら小休止。
沿道にある上正寺に寛永寺の石灯篭が、海前寺に増上寺の石灯篭がある。
いずれも全国の大名から歴代将軍の供養として献上されたもの。
寛永寺再建寄付の返礼として贈られたり、増上寺霊廟土地をプリンスホテルが取得したことにより撤去された灯篭が流れ流れて配布されたもの。
茅ヶ崎松並木
上正寺石灯篭










また、海前寺の裏には、佐々木卯之助供養碑がある。
これは、幕末期に海岸にあった砲術調練場での農作を黙認していた役人「佐々木卯之助」が遠島の刑に処せられたので、明治以降に農民が感謝の意を表するために建てた碑。


八王子神社佐々木卯之助












立派な社殿を有する八王子神社では、八王子の名称の由来を解説。
これを見ていた神社関係者から境内社である八坂神社の神輿を見せてあげようと申し出があった。
この神輿は、毎年7月に行われる浜降祭に参加する34基の神輿のひとつで、600kgの重量を有するもの。祭り当日の巡幸についても話を聞けた。


八坂神社神輿茅ヶ崎一里塚














本日の最後のポイントは、石積みの塚が残る一里塚であり、江戸から14番目のもの。
一里塚のある交差点を左折し、解散地点である茅ヶ崎駅に向かう。

次回の予定は、12月18日に茅ヶ崎駅から大磯駅まで。

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