東海道かわさき宿交流館のblog

川崎が生んだ多才な粋人 佐藤惣之助展
交流館3階にて。期間は4月10日(金)から30日(木)まで


佐藤惣之助は、日本の詩人・作詞家です。
その他に、小説や劇の脚本も書き、趣味は釣りや旅に酒だったようです。
 
 

惣之助は明治23年、川崎市砂子で生まれました。

JR川崎駅周辺のことがわかる方でしたら、川崎信用金庫の本店が彼の生家跡であります。


惣之助と言ったら、なんといっても、昭和初期の歌謡曲の作詞に大きな功績があります。

『赤城の子守唄』
『人生劇場』
『人生の並木道』
『湖畔の宿』
『青い背広で』
『緑の地平線』

・・・・・・・・などなど。

それまで惣之助は詩や俳句を作ってましたが、作詞家へ転身したのは昭和8年からです。
彼は昭和17年に亡くなりますが、10年ほどで500以上も作詞したといいます。

当時は、惣之助の書く詞は、書けば必ずヒットすると言われていました。
現在でいえば秋元康か、少し前の阿久悠といったところか。

 

作曲家である古賀政男とよくコンビを組んでいました。
どちらかというと、古賀政男のほうが名前が知れ渡られてるイメージがありますが(書いてる当人が世代が違いすぎるのであまり知らなかっただけか・・・)、

歌謡曲は、古賀政男メロディーの裏に佐藤惣之助の詞あり

といった感じでしょうか。



ちなみに、
今では歌の中に台詞が入っている曲がありますが、歌謡曲で台詞を初めて取り入れたのは惣之助らしいです。
その歌は昭和9年に出した『雨の夜船』。
歌は東海林太郎なのですが、台詞は田中絹代が歌っています。

歌も台詞もとなると、昭和17年、高峰三枝子が歌った『湖畔の宿』となるらしいです。

まぁ、もっと前の、大正3・4年に松井須磨子が歌った『カチューシャの唄』や『ゴンドラの唄』じゃないか??とか、いろいろと諸説ありますが・・・。でもこれって芝居の中の歌だからまたちょっと違ったりすると思うけれど(ボソッと)







展示室では、惣之助の生い立ちや彼が作った歌謡曲に関して、写真パネルなどで説明してます。

作詞カードを作ったので、よかったらおみやげにどうぞ。





最後に宣伝。

来月、5月は惣之助の命日です。
その命日の月に、「酔花忌」という俳句大会が毎年あります。5月10日(日)に開催です。
(詳しくは、東海道かわさき宿交流館までTELを)

また川崎今昔会と川崎区役所の主催による市民劇『華やかな散歩』(当館1階で、チケットを販売しております)がありますので、興味がありましたらどうぞ。

8日(日)から始まりましたよ、『月百姿』の後期が。

雰囲気が前回とはちょっと違うと思います。
今回の方がバラエティに富んでいるかな?と思います。



これで締めくくるのはあまりにも短すぎるので、ここでちょっと
うちで月百姿の作品を見てた時に話題となった話をば1つ。


今回の展示の中で、金太郎の絵がありますよね。(載せません、見に来てね)

今、ケータイCMでも金太郎が出てきてますよね。(桃太郎&浦島太郎と一緒に出てるやつ)


で、そのCMの初期バージョンの時、金太郎自身がこんなことを言っていたのです。

金太郎「俺がなにしたか知ってる?」(忘れてしまった。セリフぜんぜん違うかも・・・)
 


うちでもそんな話になり。 
たしかに、一瞬、何したっけ・・・・・・?となりました。


金太郎といえば、金とデカデカと書かれた赤い前掛けに、おかっぱ頭を初めに思いつきます。


『月百姿』の金太郎は赤い前掛けではないのが見ていて「あれ?」とは思いましたが(笑)
しかも熊に跨ってない(笑)

浮世絵をザッと見てみても、熊には跨っていても、赤い前掛けはしてないようで。
いつからそうなったのでしょうかね。それを調べるのも楽しそうです。
ちなみに、童謡『金太郎』は明治33年に、『月百姿』の金太郎は明治23年に作られたものです。




そして童謡にもあるように

〽まーさかり かーついだ きーんたろお~ ♪

と歌っているように、小さい子供が鉞担いでいて、しかも熊と相撲して勝つという、
とにかく強い強い子供というイメージかなと思います。


昔話でも、熊と戦い、山の獣たちと仲良くなって最後は
源頼光四天王のひとりに選ばれ、のちに坂田の金時という名前に変え、立派な武士になるという話で結んでいます。 
ちなみのちなみに、昔話「金太郎」が出来たのは江戸時代からです。



ところで坂田の金時とは誰(金魂の世界ではないのであしからず)
と思ったのではないでしょうか。


金太郎というのは、坂田金時(さかた の きんとき)という幼名なのです。金時山(神奈川県足柄下郡箱根町と同県南足柄市、静岡県駿東郡小山町の境にある山)で生まれたようです。
ちなみにのちなみのちなみに、足柄山というのはないです。「嫗山姥」という浄瑠璃の影響です。


平安後期に生まれ、頼光の部下になったあとも悪退治をしており、九州へ向かう途中に熱病にかかり55歳まで生きていたそうですが、実在した人物なのかは未詳らしい

この頼光という男や他の四天王もなかなか強くってですね。彼ら5人で、酒呑童子という鬼や土蜘蛛を倒したという伝説があるのです。
ちなみにのちなみにのちなみのちなみに、『土蜘蛛』という能や歌舞伎があります。『酒呑童子』という歌舞伎もあることはあるようですが、ほとんど見ないです。


結局、ここらへんの話が、最後サラ―――っと書かれてしまっており、ハッピーエンドといったようにスッキリとしてないためなんだっけ?となってしまうのでしょうね。



という旨をこの間話したのですが、どうもみんなあまり納得いかず(笑)。
とりあえず、出世した人物ということで意見がまとまりました(笑)。




さて、みなさまの好きな作品は見つかりましたか? 

私はこの金太郎の作品が可愛いと思うのです。
特に兎と猿が相撲取っている姿が、単純にいいなぁと。




それでは、また。 

浮世絵展 「月百姿」の後期編が今月8日から始まります。


只今、準備中です。もうしばらくお待ちを。




さて、覚えてますか。

月百姿は、つきひゃくすがた ではないですよ。
つきひゃくし ですよ。(もしくは、つきのひゃくし かな)



前期は、平安時代や鎌倉時代の貴族や、戦国時代の武将といった人物が中心でした。
残り50枚である後期は、江戸時代の人物、江戸時代の風俗、歌舞伎・能・日本昔話、
中国故事を題材にしたものを中心に展示します。



「月百姿」を展示する時や本にされる時、私が見た限りですと、ほとんどの場合、
出版された年日順に展示されることが多いのですが(というか、月百姿に限らず他の作品でもそのような傾向があるけど)、当館では分類して飾っているのが特徴です。


街道物だったり、物語性になっている作品でしたら、当たり前ですけれど順番通りに並ばないとおかしいですけれどね。

この作品は、7年間かけて制作されたものですが、特に絵柄がすごく変わっているというわけでもなく。また作品に番号もつけられていません。

出版順ですと統一性のない流れになってしまうので、見ていてぐちゃぐちゃしてどうかなあと思い、分けてみました。(たとえば、中国系の絵の後に平安時代の人物が続いて、今度は江戸時代の風俗になったりするので…)


この作品100枚見ていて思ったことは、素直によく100枚分の月に関する絵を考えたなぁということ! それから、中国と日本では「月」に関する伝承が違うということですね。


ここでそのことを書きたいのですが、それはご自身で楽しんで見てください…!




※今回3階展示室は作品保護のため、室内が暗くなっております。
また、写真撮影はご遠慮くださいませ。

よろしくお願い致します。

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