東海度かわさき宿交流館は、日本橋から箱根関所までの約127kmを12回に分けて月1回あるくイベントを実施中。(参加者の募集は既に終わっております。)
第3回目は、2015年6月19日(金)に川崎から新子安までの約10kmを終日小雨が降る中を歩きました。当日は、東海道かわさき宿交流館に集合し、まずは、佐藤本陣跡の正面にある、詩人佐藤惣之助(佐藤家の子孫)の碑を見学。
次は、旧東海道から500m程離れた、妙遠寺に向かい、「泉田二君功徳妙遠寺碑」と、小泉次大夫の逆修塔を見学。泉田二君功徳碑は、二ケ領用水を完成させた小泉次大夫と、本陣の当主であり川崎宿の復興と繁栄の礎を築いた田中休愚の二人の偉業を称える碑である。逆修塔は、生前に建てた供養塔のこと。妙遠寺は、昔は東海道沿いにあったが、戦後に現在地に移転したもの。

東海道に戻り、芭蕉ポケットパークにて、東海道分間絵図や芭蕉と弟子たちの別れの句を紹介、続いて八丁畷駅付近の芭蕉の句碑に向かう。















20150619芭蕉句碑
京浜急行の踏切を渡ると、東海道に花梨の街路樹に植えられている。緑色の実を探しながら歩いていると、まもなく市境に達し横浜市鶴見区内に入る。
市場一里塚跡を経て、鶴見川橋に差し掛かるころには、雨脚が強くなってきたが、用意周到の雨具を着用した一行は、黙々と歩を進める。
20150619鶴見川橋

午前中最後の見学は、鶴見神社。たまたま、茅の輪が用意された時期であったので、掲示された作法に従い、茅の輪くぐりを体験。
20150619鶴見神社

鶴見駅近くの貸し会議室で昼食をとり、午後は、総持寺に向かい境内の諸堂をめぐる。
大祖堂では5分間の瞑想の時を過ごし、居眠りが出る前に立ち上がり、石原裕次郎氏の墓へ向かう。
20150619総持寺

総持寺を後にして、東海道に戻り、生麦の魚河岸通りへ。午後の魚河岸通りは、いたって静かなもの。
生麦事件の碑を見学すると、旧道区間は終わり、国道15号に入る。
本日最後の見学は、新子安駅の500mほど手前にある遍照寺。この寺は、徳川家康が江戸に入国したころには、当地にあったとされる古刹であるが、参道を京浜急行が分断し、山門前に踏切があることから、「踏切寺」の異名があるという。
20150619遍照院

参加者全員が無事にJR新子安駅に到り、ここが次回7月24日の集合地であることを確認し、解散。お疲れ様でした。