東海道ウォーク第9回は、平成28年1月22日(金)実施。
定刻9時15分の5分前に参加者23名とガイド3名が大磯駅に集合。


はじめに駅前のエリザベス・サンダース・ホームと澤田美喜記念館に向かう。

澤田美喜氏は、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫として生まれ、成長して外交官澤田氏(後の初代国連大使)と結婚した、熱心なクリスチャンであった。

同氏は、戦後の混乱の中で米軍兵士との間に生まれた混血児の救済と養育のための施設としてエリザベスサンダースホームを設立した。
ここは、現在も児童養育施設として90名ほどの子供たちが暮らしている。

また、敷地内には同氏が収集した隠れキリシタンの遺品の展示を行う「澤田美喜記念館」がある。

我々は、記念館を見学する時間がないので、特別に施設の方から記念館、エリザベスサンダースホームの歴史等について戸外で説明をいただいた。

照ケ崎海岸:海岸に向かい、アオバトの飛来地として有名な照ケ崎の岩礁と小田原方向に弓なりに続く美しい海岸線を堪能。
残念ながら、富士山は雲に隠れて見えなかった。
大磯海水浴場の開祖とされる元陸軍軍医総監松本順氏の功績を伝える、昭和4年に建立された「松本先生謝
恩碑」を見て東海道に戻る。


2-2澤田美喜照ケ崎















延台寺:曽我物語の工藤祐経の家来に曽我十郎が襲われた折りに、十郎の身代わりとなって矢や刀を受けた石が虎御石と伝えられ、延台寺の曽我堂に祀られている。
ただし、虎御石は布で覆われていた。

新島襄先生終焉之地の碑:新島譲は、明治23年にこの地の旅館で静養中に亡くなった。

延台寺新島襄












鴫立庵:西行法師の詠んだ唄に由来する俳諧道場。入口前にて説明のみで立ち寄らずに次に向かう。


大磯町役場にある万葉歌碑:古代の大磯海岸の名称である「よろぎのはま」という言葉が織り込まれている。万葉仮名の漢字文であるので解読困難。


鴫立庵役場前












島崎藤村邸:文豪島崎藤村が晩年を過ごし昭和18年にこの自宅で執筆中に倒れ亡くなった。簡素な感じの三間の平屋建ての民家。


滄浪閣前を含む600m程は、上下車線を分ける中央分離帯に大きな松並木がある。



藤村邸松並木












旧吉田邸:吉田茂が昭和42年に亡くなるまで暮らしていた邸宅は平成21年に火災で焼失したが、敷地は神奈川県が公園として整備を行い、大磯町が旧吉田茂邸の再建工事を実施中です。
焼失を免れた檜皮葺の屋根を持つ門の前に、白梅が咲きほころんでいる。


吉田邸白梅













旧吉田邸を出て1200m程の区間は、国道から旧東海道にそれる。
この区間には、昭和2年に建設され「神奈川の橋100選」に選ばれているユニークなデザインの親柱を持つ本郷橋や、一里塚の案内板が設置された植栽空間もあり静かな散策路でした。

昼食時刻が近づき、JRを地下道でくぐり国道から200m程離れた六所神社へ向かった。

六所神社:3世紀頃に創建され奈良時代の初めに現在地に移ったと伝わる古社で、相模国の一の宮から四の宮、平塚八幡宮の五社の分霊を
併せて祀ることから六所神社と呼ばれている。
また、毎年5月5日に付近の神揃山で行われる「国府祭(こうのまち)」とよばれる祭りの様子も説明

出雲地方から移ってきた氏族に由来する神社なので、しめ縄は出雲大社のものに似ている。

特別に許しをいただいて社務所前にて昼食。



本郷橋
六所神社









午後は、国道1号に戻り600m程歩くと二宮町に入る。

葛川に架かる橋の名は「塩海(しおみ)橋」。浜で塩が製造されていたことから名付けられたもの。

「ガラスのうさぎ」の像:二宮駅前に立ち寄り、「ガラスのうさぎ」の像(二宮駅周辺で米軍機の機銃掃射による犠牲者を悼んで設置されたもの)を見る。併せて駅前トイレを利用。


吾妻神社入口交差点から400m程は旧街道
吾妻神社は、ここから300m程遠方の吾妻山の山中にある。



うさぎ吾妻神社















旧街道区間では、醤油蔵元と等覚院に立ち寄る。

重さにめげず、1リットルボトルの醤油を土産にする人もいました

等覚院:樹齢400年と言われる藤の古木。町指定の重要文化財である梵鐘がある。


国道に戻り700m程歩き川勾神社入口に至ると、再び旧街道区間が300m程続く。

川勾神社入口:川勾神社は、「相模国二之宮」として千年以上の歴史を持ち、二宮の地名の由来となっている古社。
神社は、川勾神社入口交差点から500m程遠方の山中にある。
付近に日本橋から18番目の一里塚の碑がある。

大磯宿から小田原宿まで4里余りの道のりがあり、また酒匂川を控えているので、この辺りは、梅沢の立場としてにぎわったそうだ。
その中心であった「松屋」があった場所を示す案内板が住宅のフェンスに掲げられている。

ここを過ぎ急な坂である押切坂を下り国道に合流すると、まもなく小田原市へと入る。

やがて、左方に海が見えてくるが、残念ながら厚い雲に陽が陰り海の色は暗く、肌寒い。


等覚院
国府津海













大山道道標:「これより大山道」という銘文の上に着色された不動尊が乗っている道標が前川地区にある。


そろそろ駅に着くころかと国府津駅入口の標識を探しながら歩いていると、住宅の軒先で一袋100円のミカンの無人販売があり味見も可能。
小粒ながら味が濃く甘いので土産に買う人が多くたちまち完売。


清正公堂:本日最後の見学箇所は、石材店の裏にある戦国武将の加藤清正を祀るお堂

200m程歩いて国府津駅に15時30分到着し解散。


大山道標清正公