東海道ウォーク第10回は、平成28年2月19日(金)に実施。
9時に参加者24名とガイド3名がJR国府津駅前に集合
小田原市役所の国府津駅前窓口コーナーの空地を利用させていただき、出発前のストレッチをしてから出発。
初めに、駅からまもなく、親鸞聖人の庵があった場所に立ち寄り、続いて、国府津駅前交差点から200m程先にある、眞楽寺に向かう。
この寺の名は、親鸞上人の命名による。寺の奥には小田原市指定天然記念物のボダイジュの古木がある。
次に、東海道を離れJR東海道線と御殿場線の下をトンネルでくぐり300m程寄り道し、菅原神社へ向かう。
菅原神社:994年創建とされる菅原道真を祀る神社で国府津の天神さんと親しまれる。
境内には、「曽我兄弟の隠れ石」(曽我兄弟が父の仇工藤祐経の行列を、この大岩に隠れて待ち受けたが、警護が厳しく果たせなかった。)
「なで牛」の石像(病気治癒に効果があるとされる)
童謡「通りゃんせ」の歌詞の碑(歌われた天神さんはこの神社であるとされる。「ここはどこの細道じゃ 天神さまの 細道じゃ」
東海道に戻り、森戸川を渡り、100m程進んだ「小八幡」信号の付近にある鮮魚店「魚利商店」さんのご厚意で店の奥庭にある 明治天皇が立ち寄られたことを記す「明治天皇御野立址」の碑を見せていただいた。
この辺り、太い松の木が点々と残っており街道風情を満喫
横断歩道橋の上から富士山もきれいに見えて感激。
大見寺にて、本陣川辺家の墓所、酒匂の旧家である小嶋家の宝篋印塔を見る。
寺の隣にある「社会福祉法人ゆりかご園(児童養護施設)」と表札のかかった重厚な構えの長屋門は、川辺家の門。
酒匂神社:境内の由来記によれば、650年頃に八幡社が祀られたことに由来するとのこと。
境内にある小さな祠には、鉈で彫ったような荒々しい木造が数体並んでいる。説明はなく由緒は不明。
酒匂神社近くにある小田原市の「生きがいふれあいセンター」にて昼食
午後の出発後、まもなく、酒匂橋にて酒匂川を渡る。
江戸時代、酒匂川は、渇水期である冬場は土橋が架けられていたが、春から秋は徒歩渡しであった。
また、江戸時代に田中休愚がこの川の治水工事を行っている。
川崎宿本陣名主と問屋役を務めていた田中休愚者は、将軍徳川吉宗に抜擢され、川除(かわよけ)普請御用となり、
荒川、多摩川、二ヶ領用水等の改修工事に続いて、富士山の宝永大噴火の影響で洪水を引き起こしていた酒匂川治水工事を行った。
川渡しの場所は、現代の橋より100m程上流であった。
橋を渡り、自動車販売店の裏側に回り込み、「小田原藩主大久保忠直:二宮金次郎を表彰の地」の石碑に向かう。
1818年、藩主が幕府の老中に任じられた際に、二宮金次郎をはじめ、領内の働き者、親孝行者を13名を酒匂川の河原で表彰した。
小田原総合ビジネス高校を過ぎて、左折し国道から離れ住宅地内を新田義貞の首塚に向かう。
新田義貞の首塚:
新田義貞は、現在の越前国(福井県)で討死し、足利尊氏によって首をさらされていた。
義貞の家臣が首を奪い、義貞の本国である上野国(群馬県)に葬るため東海道を下ったが、この地で病に倒れ、首を埋葬した後、自身も没した。
山王川に架かる山王橋を渡り250m程進んだところにある歩道橋の階段先に、江戸口見付跡(山王口)があり、ここからが小田原宿内となる。
また、ここは江戸から20番目の一里塚があったところ。
江戸見附跡から国道を離れ、100m程住宅地を歩いて、北条稲荷に向かう。
北條稲荷は、北条氏が小田原城内に建てたもので、約400年前ここに移された。
境内には「蛙石」という形状が蛙に似ている石が埋め込まれており、小田原に大異変がある時には、蛙が鳴き声を発するとのこと。
稲荷の狐の像も、ユニークな形状である。
新宿交差点から国道1号を離れ、老舗の蒲鉾店が立ち並ぶ通りを進んで800m程先にある小田原宿なりわい交流館に向かう。
清水金左衛門本陣のあった場所には、明治天皇小田原行在所(あんざいしょ)の碑が建っている。
宿内に4軒あった本陣のうちの筆頭が、清水金左衛門本陣で、明治天皇は、ここに5回宿泊された。
この碑に隣接する古清水旅館(現在はマンション)の前には、昭和20年8月15日深夜にアメリカ軍の空襲を受けたことを伝える掲示板がある。
小田原宿なりわい交流館:昭和七年に建設された旧網問屋を再整備し、市民や観光客の「憩いの場」として利用されている。
お茶をいただき、一休み。
ここから、再び、国道1号に合流。
お城のような建物で有名な、「ういろう」に立ち寄りお土産を買い、小田原城に向かう。
外郎(ういろう)家は、北條早雲に招かれ上方から小田原へやってきた。
豊臣秀吉が北條を滅ぼした際には、北條家臣を小田原城下に残さない方針の例外として、外郎家は城下に留まった
江戸時代には、歌舞伎俳優市川団十郎が、薬のういろうの効き目のおかげで、痰と咳の持病が治ったことに感激して、歌舞伎舞台で外郎売り口上を述べたので、一層、名前が広まった。
御感(ぎょかん)の藤:樹齢200年とされる藤。明治期にこの場所に移された。大正天皇が皇太子のときに、この藤を感嘆されたことに因む名称とのこと。
銅門(あかがねもん):天守閣へ通じる登城ルートにあり、平成9年に復元された。名称の由来は、扉飾り金具が銅であるため
常盤木門:本丸正面に位置し、最も大きく堅固に作られていた城門。昭和46年に再建したもの。
天守閣は、昭和35年に復元された小田原市のシンボルである。現在、耐震工事中であり、工事用の足場に囲まれており姿は見えない。
天守閣の前にて、クールダウン体操を行い、解散地点の小田原駅に向かう。